一柳洋 ブログ専用ホームページ


一柳プロフィール


1950年
(s25)横須賀市深浦の漁師の家に生まれる。
1968年
 ベトナム反戦や反公害運動に参加。
1969年
 県技術高校卒
1972年
 横須賀で自然保護運動を起こす。
1974年
 スキューバ潜水始める。
1975年
 水中写真撮影始める。埋め立て全盛の時代、環境問題の写真取り出す。
1978年
 横山市長猿島埋め立ててレジャーランド構想発表。28才で反対運動のリーダーとなる。80年市議会で猿島埋め立て反対の請願全会一致で採択。島は守られ現在に至る。80年代前半に東京湾埋め立ての反対映画(16ミリ映画)を自主製作で都合3本作り、メディアデビューする。
1989年
 『誰も知らない東京湾』(農文教)発行 12,000部。会社員を辞めて水中写真でジャーナリストのプロ活動始める。90年代テレビ企画・出演多数。
1990年
 市議選出馬を社会党(土井たか子委員長時代)から打診され、引き受ける。
1991年
 1991年社会党公認(97年離党)で市議当選。以降連続6期市議を務め2015年5月引退。

議員として実現したこと

1995年
 審議会の公開と公募委員の採用、情報公開条例の促進。
2000年
 胃がん検査でペプシノゲン方採用(バリウム検査批判、血液検査でOK)。
2001年
 腎臓がんと食道がん手術する。以降医療問題に取り組む。
2002年
 市民病院など公設病院にインフォームドコンセント、セカンドオピニオンの推奨をさせる。市民病院の中待合室廃止で患者のプライバシー保護実現2003年 沢田市長の美術館建設に一貫して反対。これで連合会派「研政21」を2003年5月に離団、無会派に。ポストほしさに会派を残ることはせず。
2008年
 地域主権や市政の監視で一致しニューウイング横須賀に合流。
2009年
母の香典より50万円を寄付して緩和療養室を実現。環境政策部設立を蒲谷市長に求め実現。
2009年
 猿島専門ガイド養成。無駄な公害調査費用の縮減など
2011年
 第2次環境基本計画に自然再生を盛り込む。資源循環部の事務分掌改正。海の浄化のため下水道の合流改善を2期より求め国の政策変更で実現。市議の間、地方主権を一貫して求める(会派ニューウイング)。

議会改革

1994年
 議会改革では1期目は議員は番号呼称制だった(質問者が目立たないように番号で呼び議事録も番号)。これを指名呼称に変更させる。市民から委員会公開の陳状を出して貰い委員会公開にこぎ着ける。当時質問は社会、共産と一部公明しかせず保守は全く質問しないので公開を非常に嫌った。
議会堕落の最大はこの「与党」意識(地方議会は議院内閣制でなく与野党はない)と地域主権の大切さに気がつかない事にある。議員は主権の行使者という自覚もない(議員になる資格のない物が常に8割を占める議会)。議会基本条例の原案提示
2008年
 議会基本条例審議の素案を会派で合宿で作り条例の方向性に影響を与えた。
2011~15年
 最後の6期目では毎議会12回登壇(3月の代表質問は除く)し市長に質問。ベテラン市議としては最高の質問回数となる。

議会以外の活動

1992~99年
 東京ガス横須賀支店(当時ギャラリーがあった)で東京湾や横須賀のサンゴの写真展複数回開催-資金は東ガス)。
2008年
 『よみがえれ東京湾』上梓。
2009年
 民主党政権の成立を受けて可視化法を求める市民運動を立ち上げるも、民主党が対米従属派に乗っ取られ崩壊したため市民運動も廃止する。

現在の市民運動

1999年
 がん問題、尊厳死や緩和医療、在宅看取りの運動をやすらぎの会で実践中(99年事務局長就任)。
2015年
 5月横須賀市民オンブズマン立ち上げ。代表に就任。
2016年
 戦前回帰型改憲にNO
 安倍政権が参院選で改憲発議するために3分の2を取る事への反対運動として「立憲主義を守るよこすか市民の会」を立ち上げ、代表となる。

ほか


安保政策(属国化)の点検
「横須賀軍港政治・軍事研究会」立ち上げ(本当の歴史を知り、ペリーに開国して貰ったとか、海軍善玉論のカタログ歴史を検証。日米安保体制下の属国政策を検証し、政府に騙され煽られず民草の命をまもる研究会。